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仙台高等裁判所 昭和34年(う)33号 判決

控訴人 被告人 野口正行

弁護人 高橋万五郎

検察官 木戸芳男

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人高橋万五郎の陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人名義の控訴趣意書の記載と同じであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点について。

論旨は、出入国管理令六〇条二項は憲法二二条に違反する旨主張する。

出入国管理令六〇条二項は、「前項(本邦外の地域におもむく意図をもつて出国する日本人((乗員を除く))は、有効な旅券を所持し、その者が出国する出入国港において、その入国審査官からその旅券に出国の証印を受けなければならない)の日本人は、旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない」と規定している。右は、出国それ自体を制限するものではなく、単に出国の手続に関する措置を定めたものであり、所論旅券法一三条一項五号の規定と相まつて、事実上かかる手続措置のために憲法二二条に定める外国移住の自由が制限される結果を招来するような場合があるにしても、同令一条に規定する本邦に入国し又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を行うという目的を達成する公共の福祉のため設けられたものであつて、合憲性を有するものと解すべきである最高裁昭和二九年(あ)三八九号昭和三二年一二月二五日大法廷判決参照)。論旨は理由がない。

同第二点について。

論旨は、密出国の罪は出国と同時に完成するものであるから、被告人が昭和二八年一〇月中旬出国したとしても、その時から起訴までに三年以上経過した本件は既に公訴時効が完成している旨主張する。

密出国の罪は出国と同時に成立するが、刑訴法二五五条一項によれば、犯人が国外にいる場合には時効はその国外にいる期間その進行を停止するのであつて、この場合は、逃げ隠れている場合と異り、所論公訴の提起も起訴状謄本の送達の能否も要件となつていないのであり、またその立法趣旨及び国外にいることが裁判を逃れようとする動機の有無を問わないのであるから、所論密出国罪を同法条の適用から除外すべき理由はない。本件において、被告人は少くとも昭和二八年一〇月中旬頃から昭和三三年七月一三日舞鶴港に上陸帰国するまでの間国外にいたこと(国外にいるとは単なる国外旅行を含まないとしても、本件の場合は単なる国外旅行ではなく、国外に居住していたのである)が、原判決挙示の証拠により明らかであるから、右国外にいた期間中時効の進行は停止し、前記被告人が帰国した時からその進行をはじめたものというべきである。そして、帰国後一二日を経た七月二五日に起訴されたものであるから、本件公訴時効は完成していないことが明白である。論旨は理由がない。

同第三点について。

論旨は、本件出入国管理令違反の公訴事実の記載は、いつどこからどのような方法で出国したかを明示しておらず、訴因を特定していないから公訴棄却さるべきである旨主張する。

刑訴法二五六条三項は、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定している。同条項の立法趣旨は、訴因によつて表示せられる公訴の客体たる犯罪事実を特定明瞭にして、他の訴因を構成すべき事実と識別させ、これにより裁判所に対し審判の対象範囲を明確にするとともに、被告人に対し防禦の対象範囲を明示してその防禦を全うさせようとするにある。従つて、訴因即ち犯罪構成要件に該当する事実を具体的に特定する限度は、少くとも他の訴因を構成すべき事実と区別できる程度でなければならないが、当該訴因を構成すべき事実が全体として日時、場所、方法等によつて特定されれば足り、日時、場所、方法等はできる限り具体的に記載すればよいのであつて、仮に日時、場所、方法等の個々の因子のあるものに不特定な部分があつても、これを他の因子と相まつて訴因全体として観察し、これが一の訴因として他の訴因と識別し得る程度である以上(それは犯罪の形態等とも関連する)、訴因として特定しているというに妨げなく、またその特定の方法は合理的解釈によつて日時、場所、方法等をある程度特定させることができる場合はもとより、公判廷における検察官の釈明による追完補正が許され、あるいはその他の方法により訴因全体として前記程度にその同一性を認識させるに足る特定がなされたときには、被告人の防禦に実質的な不利益を生じない限り、これをもつて訴因の特定性を欠くとして公訴提起の効力に影響を及ぼすものと解すべきではない。

本件において、起訴状の公訴事実の記載は、「被告人は昭和二七年三月上旬頃より翌昭和二八年一〇月中旬頃までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦より本邦以外の地域たるソ連モスクワに出国した」というのであつて、出国した確定年月日、特定の場所、特定の方法を明示していないという憾みは免れない。しかし、公判廷における検察官の釈明(本件逮捕状記載の被疑事実は、「被疑者は昭和二八年六月一〇日頃から同月中旬頃までの間に、同年八月二日からブカレストで開催される世界青年学生祭日本代表の一人として出席するために不法に出国した」というのであるが、本件起訴状の記載に「昭和二七年三月上旬頃より翌昭和二八年一〇月中旬頃までの間に」とあるのは、昭和二七年三月五日被告人が青森市青和銀行前で見かけられた事実と、被告人が昭和二八年一〇月一四日モスクワから青森駅操車係宛に絵はがきを出した事実によるものである)により被告人の出国行為が一回である趣旨であることが明らかであり、被告人の被告事件についての陳述(旅券に出国の証印を受けないで出国したことは認めるが、いつどこに出国したかは今の段階では言いたくない)に徴しても、被告人が二回以上出国したかも知れないという疑は全然存しないのである。そして、密出国罪の特異性からして、密出国が一回であり、二回以上であるかも知れないという疑がない限り、出国の日時について前記程度限定の記載があれば、本邦から本邦以外の地域たるソ連モスクワに出国したという記載だけで、特定の出国場所及び特定の出国方法の明示がなくとも、訴因全体としてみるときは他の訴因と識別でき、他の訴因と区別してその同一性を認識させるに足りるものというべく、裁判所の審判及び被告人の防禦にことかくこともないから、訴因の特定性を具備しているものと認めるのが相当である。

以上説明の次第で、本件起訴状の記載をもつて所論のように訴因を特定していないから起訴状の無効をきたし公訴棄却さるべきものと解すべきでない。論旨は理由がない。

同第四点について。

論旨は、当時日本政府は中ソ両国への渡航を許さなかつたのであるから、世界の平和と日本国民の幸福を念願する被告人が中ソ両国民と提携して第三次世界大戦の惨禍を防止するため密出国したことは、渡航権の侵害に対する正当防衛であり、また適法行為に出る期待可能性がなかつたものである旨主張する。

しかし、渡航制限の手続的措置は公共の福祉のためであることは前段説明のとおりであり、それは所論渡航権に対する不正の侵害でもなければ急迫の侵害でもなく、被告人の密他国の所為に正当防衛の観念を容れる余地は存しない。また、仮に所論のような世界情勢所論のような出国の目的であり、その他所論のような事情であつたとしても、被告人の密出国の所為は真にやむを得ざるに出でたものであり、かような事情の下に被告人と同じ社会的地位にある者の何人をおいても、密出国の違法な所為を避け、他に適法な所為に出ずべきことが到底期待し得なかつた事情にあつたものとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 細野幸雄 裁判官 山田瑞夫 裁判官 有路不二男)

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